HONYAKUMANの後悔と未来

2024年41歳本厄。事業失敗、妻に愛想を尽かされた男。後悔と愛情と恨みと悲しみの渦の中のおはなし。

子供との関係

子供との関係

妻との関係も経済的にも厳しい状況が続いた。

妻との関係は完全に悪循環に陥っていた。

しかし、2人とも子供を大切に、それぞれの思いの中で

子供との関係は何よりも大切にしていた。

家族を繋いでいたのは7歳の息子と5歳の娘たちだった。

 

私は子供にモチベーション高く1日を始め明日に希望を持って寝てもらうために

子供たちの前ではポジティブに振る舞い、ポジティブな言葉を投げかける様に

心がけていた。

そのおかげで子供達は私といる時間を多く望んでくれたし、家庭内でも私の仕事場に

入り浸り、そこで工作をしたり絵を描いたり粘土遊びをしたり同じ空間で過ごす

事が多かった。

それはそのはずだ、妻は常に寝転びスマホを操作しながら子供の相手をする事が

多かった。そうすると子供たちもスマホYOUTUBEを見る事が多くなる。

 

私はそれが大嫌いだった。

それをやめさせるためにも子供達を誘い一緒に体や頭を使って楽しむために

ゲームを取り入れたり何より子供達がYOUTUBEを見ないですむ様にするために

過ごしていた。

 

私は仕事がうまくいっていない嘘ろめたさと妻の行動に対する嫌悪感から

妻との空間を避ける様になっていった。しかし子供達にはママは素敵な人であるとか

作った絵や作品をママにプレゼントしようと企てたり

子供達が最終的にはママを必要とする。

それだけは家族であるために必要な関係性だと確信していた。

私は子供達を楽しませ活力を与え、寝る時や静かに過ごしたいときはママと過ごす。

それが家庭内での父と母の役割でいいと思っていた。

 

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私の性格(1)偽りのやさしさ

偽りのやさしさ

私の妻は元から厳しかった。皿洗いをすれば洗剤の使い方で不満を漏らし、

冷蔵庫の開け閉めで不満をぶつけ、子供たちと私の会話でさえ遮って私のことを

否定することが多かった。

私は妻に怯えていた。今はその原因がわかるのだが当時はそうだった。

私は人が怖かった。

怖かったから隠す性格だったのだ。

 

2023年後半になると破綻した妻との夫婦関係の溝はより深まるばかりだった。

私は家庭に入れるお金を所得ではなく負債から支払うようになっていた。

それでも家族と過ごす時は心配させないように精一杯だった。

 

私は「家族のために」と勘違いしていたのだ。

 

朝家庭のゴミを出すのも、朝子供たちの食事を準備するのも食後の皿洗いをするのも

子供たちをお風呂に入れるのも「妻の負担を減らせば夫婦関係は良くなる」

と勘違いしていた。

妻の負担が少しでも軽くなるように心がけていた。

「料理は苦手」という妻が毎日決まったも冷凍食品の惣菜を子供たちに出すのも

「妻なりに精一杯作ってくれている」から指摘するわけにはいかない。

と思い外食に誘ったり、2人でお昼自宅にいる時は

カップ麺やレトルト食品でいいよ」と言うように心がけていた。

 

そうすることが思いやりだと思っていた。

 

事業を始めるときに夢を語ると目を輝かせてくれた妻に私はただ応えたかった。

家族を大切にすればいずれ経済状況もうまく行くと盲信していた。

 

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破滅へ向かう船

破滅へ向かう船

妻との関係が1日1日時間を重ねるにつれ、愛情という羽が1枚ずつ抜け落ちる様な

毎日だった。

私はいつのまにか知人からの甘い誘惑に「投資」へ手を出してしまっていた。

「1発で負債を挽回できるチャンスがある」

そんな蟻の餌にもならないような安っぽい言葉に縋るバカな男がそこにはいた。

私は妻との関係も挽回したかった。これ以上羽を失ってはいけない。

私は焦っていた。このまま苦しい事業をするのか逆転を狙うのか。

このまま苦しい事業を続けて行くのかそれとも負債をなくすことで

全てがうまく行くかもしれないという考えに囚われてしまっていた。

もちろん当たり前のことの様に失敗した。

 

最後のチャンス、人生で一度っきりの人生を賭けたギャンブルに負けたのだ。

もちろん敗者は救われない。自ら結末に向かって船を漕ぎ出した。

いや漕いでなんかいない。

水流にただ流され始めた。その先には下が全く見えないほどの崖が待っているのだ。

 

そこから私は、嘘を吐き、隠し、落ちて行く毎日を過ごしていた。

今になって思えば「救われる事などない」と分かる。

ただただ当時は流される船に乗りながら

「こんなに頑張っているのに」「家族を幸せにしたいだけなのに」

と思いながら惨めで的を得ない短絡的思考しか頭に浮かばず、

掴むことが出来るものがあるかもしれないと思いながら流されるだけだった。

 

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妻との関係(2)欠落する愛情

欠落する愛情

元々、妻はSEXが好きではなかった。

自分から誘ってきたのは付き合って別れて再び寄りを戻そうと言ってきた時と、

子供を欲しいと言ってきた時だ。

娘が生まれて数回は関係を持ってくれたがそれから4年以上は拒み続けられていた。

私は心の中ではショックを受け続けていたが子供達の前では仲の良い夫婦で

在り続けられるように、妻へ手を繋いだりキスしようとスキンシップを求め

妻が「嫌だぁ〜」「キモィ〜」と言いながら反応する。そんな事を2年前まで

続けていたが妻の気持ちはとっくにそこになかったのだ。

毎日子供を中心とした生活。それはそれでよかった。

子供達は変わらずパパとママからの愛情を受けれていたし、妻と私がそれぞれの

愛情を持って接するのは彼らの考え方の幅がひろがるいい機会だとさえ考えていた。

 

お酒を一緒に飲み楽しい会話をする。そんな事が無くなったのも

妻が私との愛情の構築を必要としなくなってから

だったような気がする。

 

私は経済的にはきつかったが家族の時間は大切にしたいと考えていた。

休日は子供達に新しいことに触れさせたい、と外出するようにしていたし

妻が行きたいところにもなるべく行く様にしていた。

しかしその頃から妻は家族との時間は常にスマホの画面を見て

家族との時間を全く楽しそうにしなかった。

 

それは私にとって苦痛だったが「その原因は私にあるせいだ」ということも

理解していたので特に「咎める権利も持っていないんだ」と言い聞かせ

ただノーテンキに子供達を楽しませることだけに専念していた。

 

しかしその苦痛を少しづつ避けたいと思うようになってしまい、

その状態を避けるためには

「お金を稼いで妻を見返さなければ」

という考えに縛られていった。

 

今、客観的に思うことは妻に相談し、怒られてでも信頼を積み上げることで

違った未来になっていたかもしれないが当時の私の考えは違ったのだ。

 

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妻との関係(1)幸せな家庭

幸せな家庭


私と妻の関係は終わっていた。

原因は全て私にある。

妻は子供のために、家族として存在するために今まで一緒にいてくれていたのだ。

 

約8年前に息子が生まれて事業を始めた。

私達はその時は確実に「明るい未来」を夢見ていた。

息子が生まれ検診の時に先天性の重病が発見された。

私たちは深く悩み手を取り合って子供がこの試練を

乗り越えられるように頑張ろうと誓った。

大学病院に入院・手術となった時は自分の命が代わりになれるのなら

何も惜しくないと心から思った。

子供の体にメスが入る事ほど自分の力が何一つ及ばないという無力さを実感した。

その子供に長く付き添い入院してくれている妻に感謝し、片道2時間の道のりを

1週間のうち4日は通った。

少しでも飽きのこない惣菜を買い、妻の話を聞くことが私たちの家族にとって

最善だと確信していた。

体力的にも金銭面的にもきつかったがそれよりも大事なことが確実にそこにあった。

 

そして退院し完治まで行かなかったが子供は普通の健康な子と同じ生活をする事が

できるようになった。

私達は救われたのだ。

その1年後妻は「2人目が欲しい」と言った。

私はこの息子が遺伝的な可能性もあることから当初は躊躇したが妻に説得されて

2人目を望み、運よく先天的な持病もなく女の子を授かることができた。

 

私たちは4人家族となり幸せな家庭を持つことができた

 

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初めての精神病院

精神病院の診察

精神病院受診の当日になった。

噂ではよく聞く精神病院

自分で「自分の考え方が正常なものかどうか知りたいのでカウンセリングを受けてみたい」

と言ったもののカウンセリングがどう言ったものなのかもよく知らないし、

カウンセリング=精神病院になるとも思っていなかった。

受診して精神病と診断されてしまえばそれはそれでどうしても良いかわからなかった。

 

ただその時の私の感情は約6年に渡るの虚言や借金を隠し続ける思考回路で混乱していたし。

その心配がない状態でもいたるところのCMでローンや借入を見るたびに

どうかやって借りられないか申し込みできないか真剣に頭の中に考えてしまうほど

癖ついていたのだ。

病院に着くと至って普通の病院だった。

受付を済ますとまず担当の方が現在どのようなことで悩んでいるかヒアリングをしてくれた。

現在何で悩んでいるのかどのような心理状態なのか何が原因と思っているのか。

私はその時の考え付くことをできる限り説明した。

そのあと受診だった。

医者の言ったことは「自己肯定感かなぁ?借金の依存とかだったらプログラムに参加して見る?」

と言うことだった。

私は自分の考えを信じないと固く思っていたので「はい」と答えた。

初めての精神病院はなんともスッキリしない感触ではあったがこんなものかと

思った。

そしてその参加プログラムの予約や説明を聞き、叔母と帰路に着くのであった。

いい大人になって叔母に付き添われ、病院代を出してもらい、生活するのは

とても惨めではあったが私にはもう叔母に従うしかなかったのだ。

 

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惨めな日々

惨め

叔母と精神病院に連絡をとり予約をしてもらった。

その日が来るまでは叔母が借金や支払い延滞の整理・管理を行い、

私はこれまで通り日中、個人事業主の業務、夜間は警備のアルバイトを行いながら

叔母に言われた通りに空いた時間に叔母の家に行き、話をした。

そして家の手伝いなどをしてできる限りの今私にできるお礼をする様にしていた。

個人事業主の取引先からは60万円の前倒し支払い、夜間のアルバイトからは20万円の

給与前借りを精算するまではもちろん収入がないのでその間は叔


母に借金していると

いう現状だった。

しかし、日々の借金の督促や支払いに怯える事なく生活出来ることが一体いつ以来か

わからないぐらいだった。

そして精神病院の受診の日が来た。

私は一人で行けると言ったが叔母は一緒に行くと言ったので私は自分の考えさえも

信頼できなかったのでそうしてもらうことにした。

ちなみに、私の健康保険は2年ぐらい前から市県民税の滞納もあったので

毎月、市役所の中の奥の一般市民の利用頻度が低い、税務課の中の収納管理課に

部分納付して1ヶ月分の保険証を支給してもらうと言う惨めな生活を送って来た。

行くたびに静かな空間で用件を言うと静かにデスクに向かっている公務員の方々が

何を思っているか想像するだけで嫌だったしとても惨めな気持ちになるのだった。

 

 

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